共有の壁

オリンピック、東京に決定ですが…
 今朝、TVをつけてみると「2020年のオリンピックは東京に決定!」とのニュース。うれしくないってことはないんですが、安倍首相が、福島原発の汚染水問題で「健康被害はまったくない(これからも)」と言ってたのがものすごく気になりました。「それは違うだろう!? そんなこと言いきっていいのか?」と強く思いました。こう感じたのはわたしだけでしょうか。もちろん、これから取り組みはするのだろうと思いますが、わたしはとてもひっかかりを感じました。

学校現場でICTが共有されないわけ
 今回は、8月の終わりごろにTwitterで目にした意見を紹介します。ICT関係者の中では結構論議になっています。発信されているのはKDDIにお勤めの野本竜哉さん。あくまで個人として発信されています。
 
記事のタイトルは、「なぜ学校にICTは普及しにくいのか? “共有”の壁」
全文を読みたい方は、
 it-education.hatenablog.com/entry/2013/08/29/014552

 要旨をわたしなりに上にまとめてみました。簡単に言うと、ICTはもっと教育現場で普及させるべきだが、それを妨げる阻害要因が存在する。その一つに教師の「独自スタイル」がある。これが壁となってICTの共有がなかなか進まない、というものです。
 正確な主張を読みたい方、興味のある方はぜひ全文を読んでください。野本さん、「ぜひ、先生方のご意見を…」とおっしゃっています。

この指摘、共感できます
 わたしの感想ですが、この指摘、かなり当たっているなあと思いました。ICTの普及について、よく機器や設備などの環境整備の不備を指摘する意見がありますが、わたしはそれは表面的な理由で、「ほんとうはそうじゃないよ。問題は教師の意識にあるよ」と思ってきました。
 それを企業の方がずばっと指摘されたような感じで…。「一面的な意見だ」という声もありますが、わたしとしてはこの指摘は率直に受けたいと思います。なぜなら、この「独自スタイル」はわたしにもあることで、「このスタイルは自分が作りあげた自分だけのもの。他の人にはできないだろうな」という意識があるからです。
 この「独自スタイル」は決してダメなことではないと思います。自分の教え方に自信・信念をもってやっていくべきですから、「独自スタイル」のない方が問題ですね。自分のスタイルはしっかり持つべきだと思います。
 問題は、これに固執して、「自分のスタイルを他に伝えない」「他のスタイルを受け入れない」ということかなと思います。

教師の意識変革がされないと難しい
 でも、この問題はICTにかぎったことではありません。以前からある問題です。戦前からあるでしょう。では、昔はしっかり教育技術や指導が共有されていたのかというとそうは思いません。「独自スタイル」の壁はありました。野本さんは「使えそうなパーツを共有しては?」「一定のベースラインを設定しては?」と書かれていますが、わたしはやはり意識の問題が横たわると思います。
 自分のスタイルはしっかり持ちつつ、「この人に伝えたい」「この人から学びたい」という意識を個々の教師がどう持つかです。つまり、意識変革が必要なのですがこれがかんたんにはいきませんね。わたしも含めて…。
 教師同士の関係性が分断されている今の日本の教育において、さて、どうやっていくか。大きな課題です。